千葉県柏市唯一の臨済宗 少林寺



〒277-0033
千葉県柏市増尾3-6-1
TEL/FAX 04-7172-4216


少林寺境内散策

山岡鉄舟筆の山号額

山岡鉄舟筆の山号額

本堂内正面に「増尾山」と書かれた山号額が掲げられています。幕末・明治維新に活躍した山岡鉄舟の筆によるものです。

山岡鉄舟は、勝海舟とともに官幕両軍の間を斡旋して西郷隆盛を説き、江戸開城への道を開いた人物です。 明治維新後は新政府に出仕し、地方官僚を経たのち、宮中の要職をつとめて明治天皇の側近として仕えました。 また、幼少より、剣の道、書の道に親しみ、剣は真影流を極め、書は一楽斎と号して雄渾をふるいました。 さらに、信仰の人として谷中の全生庵を創建したことでも知られています。

当時、武芸の心得も持ち剣の腕前も相当であったと伝えられる少林寺第二十五世巣山和尚に贈られたものです。


江口章子の歌碑

江口章子の歌碑

「手賀沼の水のほとりをさまよいつ芦刈る音をわがものとせし」

江口章子は、北原白秋の二番目の夫人として、また自身も 「女人山居」などの詩作に才を発揮しましたが、数奇な運命をたどった人でした。

増尾生まれで幼少に少林寺第二十五世巣山和尚の養子となり後に栄松寺住職になる中村戒仙和尚と結ばれるのが大正も終わりの頃。 戒仙和尚の計らいで、和尚の実家近くの辻堂に暮らし、この時「女人山居」を出版します。
昭和二年、聚光院の住職となった戒仙和尚とともに京都へ向かいますが、そこでの数々の奇行により戒仙和尚の愛を失います。
昭和二十一年大分の実家で帰らぬ人となりました。

中村戒仙和尚が少林寺の養子であり、章子が増尾に住んでいたことから、平成二年、少林寺入口近くに、地元の有志によって建てられたものです。



「シンドバッドの船」早川義孝

「シンドバッドの船」早川義孝

日本のみならず海外でも個展を開かれる早川義孝画伯の作品です。
御縁あって、この他の作品も飾っています。



重胤公ゆかりの観音像・重胤公の供養塔
重胤公ゆかりの観音像
重胤公の供養塔

南北朝の内乱で北朝側に属した相馬重胤公は建武3年 (1336年)、片瀬川の戦いで敗れ、 同年4月、鎌倉法華堂で自害しました。 出陣するさい重胤公は、母からゆずりうけた小さな観音像を御守としていつも兜の中に大事に納めていたと言われています。 重胤公の家来は、激しい戦いの中、この観音像だけを奥州相馬家へと持ち帰りました。

永禄元年 (1558年)正月、重胤公の子孫にあたる相馬慶胤 (嗣嶽慶胤禅師)が、重胤公とその家来たちの供養と慰霊のために、 奥州相馬家より重胤公の兜の中に納められていた小さな観音像を増尾に請来し、増尾山少林寺が開山されました。

しかし嗣嶽慶胤和尚は開山を名乗らず、馬橋万満寺2世雪傅宗屋和尚を少林寺開山に迎え、自らは少林寺第2世として名を残しています。 雪傅宗屋和尚はその後、茨城県土浦市法雲寺の第22世となります。


少林寺では以上のような経緯法縁から
開基  相馬重胤公
開山  雪傅屋和尚
としています。


現在まで、重胤公ゆかりの観音像をご本尊に、また境内墓地に重胤公の供養塔もこざいます。